2024年4月8日リリースの米津玄師の楽曲「さよーならまたいつか!」は、NHK連続テレビ小説「虎に翼」の主題歌として書き下ろされた作品です。
成長と別れ、そして自由への渇望を描いたこの曲には、ドラマの主人公・猪爪寅子の生き様と深く共鳴するメッセージが込められています。
この記事では、歌詞に込められた深い意味を丁寧に読み解いていきます。
米津玄師「さよーならまたいつか!」の歌詞
どこから春が巡り来るのか 知らず知らず大人になった
見上げた先には燕が飛んでいた 気のない顔でもしもわたしに翼があれば 願う度に悲しみに暮れた
さよなら100年先でまた会いましょう 心配しないでいつの間にか 花が落ちた 誰かがわたしに嘘をついた
土砂降りでも構わず飛んでいく その力が欲しかった誰かと恋に落ちて また砕けて やがて離れ離れ
口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く
瞬け羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ
100年先も憶えてるかな 知らねえけれど さよーならまたいつか!しぐるるやしぐるる町へ歩み入る そこかしこで袖触れる
見上げた先には何も居なかった ああ居なかったしたり顔で 触らないで 背中を殴りつける的外れ
人が宣う地獄の先にこそ わたしは春を見る誰かを愛したくて でも痛くて いつしか雨霰
繋がれていた縄を握りしめて しかと噛みちぎる
貫け狙い定め 蓋し虎へ どこまでもゆけ
100年先のあなたに会いたい 消え失せるなよ さよーならまたいつか!今恋に落ちて また砕けて 離れ離れ
さよーならまたいつか! / 米津玄師
口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く
今羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ
生まれた日からわたしでいたんだ 知らなかっただろ
さよーならまたいつか!
NHK連続テレビ小説「虎に翼」との関連
ドラマのあらすじと背景
「虎に翼」は、日本初の女性弁護士の一人で、後に裁判官となった三淵嘉子をモデルにしたオリジナルストーリーです。主人公・猪爪寅子と仲間たちが、女性が法曹界に進むことが困難だった時代に、道なき道を切り開き、悩みながらも一歩ずつ成長していく姿を描いています。
米津玄師による楽曲制作のコメント
米津玄師は主題歌担当の発表に際して、「まさか夜中でばかり生きている自分が朝ドラの曲を作ることになるとは思いもしませんでした。寅子の生き様に思いを馳せ、男性である自分がどのようにこのお話に介入すべきか精査しつつ『毎朝聴けるものを』と意気込み作りました」とコメントしています。
このコメントからは、ドラマの世界観を深く理解し、寅子という女性の視点に寄り添おうとする米津玄師の姿勢が伝わってきます。
楽曲の全体的なテーマ
この曲は「大人になることの喪失感」と「自由への憧れ」という相反する感情を軸に展開されます。タイトルの「さよーならまたいつか!」という言葉には、別れの悲しみと再会への希望が同居しています。
ドラマ「虎に翼」の寅子が時代の制約と闘いながら自分の道を切り開いていくように、この曲の主人公も束縛から解放され、自由に飛び立とうとする強い意志を持っています。
歌詞考察:冒頭部分の意味
春と燕が象徴するもの
どこから春が巡り来るのか 知らず知らず大人になった
さよーならまたいつか! / 米津玄師
見上げた先には燕が飛んでいた 気のない顔で
冒頭の「春」は希望や新しい始まりの象徴です。しかし主人公は「知らず知らず大人になった」と歌われており、春を知らないまま主人公の気づきが描かれています。
「燕」は自由の象徴として登場します。空を自在に飛ぶ燕を見上げる主人公の姿には、制約に縛られた自分との対比が描かれています。
「虎に翼」の寅子もまた、自由に生きる権利を求めて闘った女性でした。
時代柄もあり、一行目はその時代の女性、二行目はその時代の男性を象徴する歌詞にも聞こえます。
翼への憧れと悲しみ
もしもわたしに翼があれば 願う度に悲しみに暮れた
さよーならまたいつか! / 米津玄師
さよなら100年先でまた会いましょう 心配しないで
ここでの「翼」は、ドラマのタイトル「虎に翼」と直接呼応しています。
「虎に翼」は「鬼に金棒」と同じく「強い上にもさらに強さが加わる」という意味です。
寅子という既に強い女性が、法律という「翼」を得ることで、さらなる力を獲得していく物語を象徴しています。
楽曲のジャケットも虎に翼が生えた絵になっていますね。
歌詞での「翼」は自由への憧憬を表現しています。しかし、それは”その時点では”叶わない願いであるからこそ、悲しみを伴うのです。
「100年先でまた会いましょう」というフレーズは、現実的には会えない遠い未来を指しています。これは寅子が切り開いた道が、後世の女性たちに受け継がれていくことを暗示しているとも解釈できます。
中盤:喪失と痛みの表現
花と嘘、そして力への渇望
いつの間にか 花が落ちた 誰かがわたしに嘘をついた
さよーならまたいつか! / 米津玄師
土砂降りでも構わず飛んでいく その力が欲しかった
「花が落ちた」という表現は、美しいものや純粋なものが失われていく様子を表しています。「誰かがわたしに嘘をついた」という言葉には、社会や他者から与えられた価値観への不信感が込められています。
「土砂降りでも構わず飛んでいく力」は、どんな困難にも負けない強さへの憧れです。寅子が男性中心の法曹界という「土砂降り」の中を進んでいったように、楽曲の主人公も逆境を乗り越える力を求めています。
恋愛と挫折の繰り返し
誰かと恋に落ちて また砕けて やがて離れ離れ
さよーならまたいつか! / 米津玄師
口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く
人間関係における傷つきと別れが、生々しい身体的表現で描かれています。
「口の中の血」は心の痛みの肉体化であり、「空に唾を吐く」という行為には、理不尽な世界への反抗や怒りが込められています。
自由への決意
瞬け羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ
さよーならまたいつか! / 米津玄師
100年先も憶えてるかな 知らねえけれど さよーならまたいつか!
「羽を広げ 気儘に飛べ」という力強い言葉は、自分自身への、そして同じ境遇を生きる女性への応援メッセージです。
束縛から解放され、自由に生きることへの強い意志が表現されています。
後半:時代との対峙と自己解放
雨の町と孤独
しぐるるやしぐるる町へ歩み入る そこかしこで袖触れる
さよーならまたいつか! / 米津玄師
見上げた先には何も居なかった ああ居なかった
「しぐるる」は時雨(冷たい雨)が降る様子を表す古語的な表現です。
冷たい雨の降る町を歩く主人公の姿には、孤独感や寂しさが漂っています。
「袖触れる」は人々とすれ違う様子ですが、「見上げた先には何も居なかった」という言葉には、心の拠り所を失った喪失感が表れています。
他者からの束縛との決別
したり顔で 触らないで 背中を殴りつける的外れ
さよーならまたいつか! / 米津玄師
人が宣う地獄の先にこそ わたしは春を見る
「したり顔」は知ったかぶりをする様子を指します。無理解な他者からの干渉や、押し付けられた価値観への拒絶が描かれています。「背中を殴りつける的外れ」という強い表現は、善意を装った暴力性を指摘しています。
「人が宣う地獄の先にこそ わたしは春を見る」という一節は、この曲の核心的なメッセージです。
他人が「地獄」と呼ぶ困難な道であっても、主人公はその先に希望(春)を見出しています。これは自分自身の価値観で生きる覚悟の表明であり、寅子が周囲の反対を押し切って法律の道を進んだことと重なります。
曲の冒頭では「春」を知らなかった主人公が、「春」を知っていく過程です。
縄を噛みちぎる強さ
誰かを愛したくて でも痛くて いつしか雨霰
さよーならまたいつか! / 米津玄師
繋がれていた縄を握りしめて しかと噛みちぎる
「繋がれていた縄を噛みちぎる」という表現は、この曲で最も力強いメタファーの一つです。
女性が法曹界に進むことが困難だった時代に、自らの意志で道を切り開いた寅子の姿そのものを表しています。
束縛や制約を自らの力で断ち切り、自由を掴み取る決意が込められています。
虎のように強く
貫け狙い定め 蓋し虎へ どこまでもゆけ
さよーならまたいつか! / 米津玄師
100年先のあなたに会いたい 消え失せるなよ さよーならまたいつか!
「蓋し虎へ」という表現は、「まさしく虎のように」という意味で、強く生きることへの呼びかけです。
これはドラマのタイトル「虎に翼」の「虎」を直接的に引用しており、寅子(名前にも「寅」の字が入っています)という女性の強さを讃えています。
「100年先のあなたに会いたい」という言葉は、時代を超えて受け継がれる意志や精神を表しています。寅子のような先駆者の努力が、未来の世代に繋がっていくことへの希望が込められています。
結末:最も重要な自己肯定のメッセージ
今恋に落ちて また砕けて 離れ離れ
さよーならまたいつか! / 米津玄師
口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く
今羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ
生まれた日からわたしでいたんだ 知らなかっただろ
さよーならまたいつか!
最後のサビでは、それまでの歌詞が繰り返されますが、印象的だったのは「生まれた日からわたしでいたんだ 知らなかっただろ」という一節です。
これは楽曲の核心であり、他者の期待や社会の枠組みに縛られていたように見えても、本質的な自分は変わらず存在していたという自己肯定のメッセージです。
「知らなかっただろ」という言葉には、周囲に対する静かな宣言と、自分自身への再発見の驚きが含まれています。
寅子もまた、時代の制約の中で生きながらも、本質的には「生まれた日から」自分らしく生きようとしていた女性でした。
まとめ:「さよーならまたいつか!」が伝えるもの
まとめとして、この楽曲は以下の多層的なテーマが織り込まれているように考えました。
成長に伴う喪失:大人になることで失われる純粋さや自由への気づき。しかしそれは同時に、本当の自分を見つけるための通過点でもあります。
自己解放:他者の期待や時代の制約から自分を解放する勇気。「縄を噛みちぎる」という力強い行動として表現されています。
痛みの受容:傷つくことを恐れず生きる決意。恋に落ちては砕け、血が滲んでも、それでも前に進もうとする強さです。
自己肯定:ありのままの自分を受け入れること。「生まれた日からわたしでいたんだ」という言葉に集約される、この曲の最も重要なメッセージです。
時代を超えた希望:困難な時代を生きた先駆者の意志が、未来へと受け継がれていくこと。「100年先でまた会いましょう」という言葉に込められた、世代を超えた連帯の思いです。
米津玄師特有の詩的で比喩的な表現を通じて、現代を生きる多くの人が抱える葛藤と、それを乗り越えようとする意志が力強く歌われています。
「虎に翼」の寅子という実在の女性をモデルにした物語のために書き下ろされたこの楽曲は、時代の制約に立ち向かった女性たちへの敬意と、その精神を現代に生きる私たちへ届けるメッセージとなっています。
「さよーならまたいつか!」という軽やかなタイトルの裏には、深い別れの痛みと、それでも前に進もうとする強さ、そして未来への希望が込められているのです。


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