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映画『蔵のある街』主題歌|手嶌葵「風につつまれて」歌詞の意味と背景を読み解く

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映画『蔵のある街』主題歌|手嶌葵「風につつまれて」歌詞の意味と背景を読み解く Jポップ

2025年8月公開の映画『蔵のある街』──その主題歌として選ばれたのが、手嶌葵さんの新曲「風につつまれて」です。もともと高砂熱学工業のCM用に制作されたこの楽曲が、映画の世界と奇跡のように重なったことから、主題歌として採用されることになったそうです。

この曲を聴いて感じたのは、「風」や「光」といった自然の存在を通して、大切な人の面影やその愛が今もなお心の中に息づいている、というメッセージです。
歌詞全体に静かで繊細な余韻が流れていますが、その中には「喪失」と「再生」、「約束」と「自立」といった多層的なテーマが重ねられています。

ここでは、歌詞に込められた意味を丁寧に読み解きながら、「なぜこのタイトルなのか」「誰の物語なのか」について、自分なりに考察してみたいと思います。

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風につつまれて / 手嶌葵 の歌詞

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木漏れ日を風が揺らす
懐かしい光の雨
遠くであなたの声が
こだました気がした

振り返るたびにいつも
大切なものに気づく
こころに空いた隙間は
落としもののせい

移りゆく日々の中で
思い出す優しい笑み
どんなときも
あなたの愛につつまれてた
空気のように

まぶたの裏に映る人
あなたの背中を追いかけた
涙で明日が見えない日も
踏み出すちからをくれたから

この坂を上ればまた
懐かしい海が見える
遥かな遠い街まで
行ける気がした夏

あの時の少女は今
少しだけ嘘もつける
“楽しく暮らしているわ
心配ないからね”

眩しさに目を細めて
強がりが風に溶けた
迷う時は
あなたの愛が照らしていた
光のように

まぶたの裏に映る人
あなたの言葉を追いかけた
何もなくても躓くこと
誰にでもあるとつぶやいて

もう大人だから
もう大人なのに
ふたつの想いが
ぶつかるたびに
胸は痛むけど

まぶたの裏に映る人
あなたの背中を追いかけた
涙で明日が見えない日も
踏み出すちからをくれたから

そこから私が見えますか

風につつまれて / 手嶌葵

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タイトル「風につつまれて」が示すもの

この曲のタイトルである「風につつまれて」は、文字通りには風が優しく包み込むイメージです。しかし、歌詞を読み進めるうちに、この“風”が誰かの“記憶”や“愛”の象徴なのではないかと感じるようになりました。

風という存在は、目には見えないけれど確かに感じることができて、いつも身の回りにありますよね。まるで、それは――
大切な人の思い出やまなざし、あるいは遺された言葉のように。

風に包まれることは、つまり「見えないけれど確かに存在する愛」に支えられているということ。映画『蔵のある街』の中でも、主人公・難波蒼は、亡き人との約束や過去の絆を心に抱えながら、一歩ずつ未来に向かって歩き出します。

「風につつまれて」という言葉には、そんな目には見えないけれど心を動かす“支え”が重なっているのではないでしょうか。


「まぶたの裏に映る人」は誰?

まぶたの裏に映る人
あなたの背中を追いかけた

風につつまれて / 手嶌葵

この部分を読んだとき、私は映画の登場人物たちを重ねずにはいられませんでした。
語り手はきっと、「あなた」との距離を時間的にも空間的にも感じている。でも、それでも「追いかけた」と過去形で語るように、何かを越えてきた想いがあります。

“まぶたの裏に映る”という表現には、亡くなった人や、もう会えなくなった人への追憶がにじんでいるように感じます。それは、映画の中で蒼が向き合う「失われたもの」「守りたい約束」にも通じるようです。

この歌は単なる“懐かしさ”を歌っているわけではありません。思い出すこと、涙すること、でもそれでも前を向いて歩くことの尊さが、言葉の節々から滲み出ています。


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「移りゆく日々の中で」気づいたもの

振り返るたびにいつも
大切なものに気づく

風につつまれて / 手嶌葵

人生という坂道を歩くうちに、ふと立ち止まって気づく“本当に大切なもの”。それは失って初めてわかるものかもしれません。

この歌詞にある「振り返るたびに」という時間の流れは、ノスタルジーではなく“発見”です。つまり、今の自分が過去をどう見るかで、大切なものの意味が変わってくるということ。ここがとても繊細で深いと感じました。

過去に誰かが差し伸べてくれた言葉、まなざし、愛情。それらが風のように記憶の中で優しく吹き込み、私たちの今を照らしてくれる。この歌は、時間を超えて「支え」が生き続けることを描いているように思います。


「涙で明日が見えない日」も、歩けた理由

涙で明日が見えない日も
踏み出すちからをくれたから

風につつまれて / 手嶌葵

悲しみに沈むとき、私たちは立ち止まってしまうものです。先が見えないと、動けない。でも、「あなた」がくれた力で、もう一度踏み出すことができた――。このフレーズに、私は胸を打たれました。

映画『蔵のある街』でも、蒼は喪失と向き合いながら、花火を打ち上げるという“過去の約束”を実現させようとします。そこにはきっと、消えてしまったものを取り戻すというより、「その人の想いを引き継いで、生きていく」という決意があるのだと思います。

涙は悲しみだけじゃなく、優しさや愛しさからも流れるものですよね。この歌は、その両方を受け止めてくれているように思います。


「嘘もつけるようになった」少女の成長

あの時の少女は今
少しだけ嘘もつける
“楽しく暮らしているわ
心配ないからね”

風につつまれて / 手嶌葵

この部分で語られる“嘘”は、優しさの嘘だと感じました。本当は苦しいこともある、迷いもある。けれど、「あなた」を心配させないように、明るくふるまうその強がりが、風に溶けていくように描かれていて、とても切ないです。

ここからは、語り手が子どもから大人へと変化していく過程が見えてきます。弱さを抱えながらも、誰かを守ろうとする姿勢。過去の“受け手”だった少女が、いまは誰かの“与え手”になろうとしている。

それが、映画の中で蒼が紅子や兄の想いをつなごうとする姿と重なります。


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「光」と「風」が象徴する、見えない支え

この歌では、「風」だけでなく「光」も何度も登場します。

迷う時は
あなたの愛が照らしていた
光のように

風につつまれて / 手嶌葵

“照らす”という言葉は、風とは対照的です。風は見えずに包むけれど、光は目に見えて導く存在。つまりこの曲では、風=記憶や包容、光=道しるべや希望と役割が分かれているようにも感じられます。

ふたつはどちらも「あなたの愛」と結びついていて、見えないけれど確かな支えとして、今も語り手の中に生き続けている。


「そこから私が見えますか」──語り手がたどり着いた場所

ラストの一行、

そこから私が見えますか

風につつまれて / 手嶌葵

この問いかけには、全編の想いが集約されているように思います。これは決して「自分を見てほしい」という自己主張ではなく、“届いていますか”という祈りのような感情です。

今、私はここにいます。少し大人になって、でもまだあなたを想っています。
その想いが、風に乗って届いてほしい──。それが、この歌の核心ではないでしょうか。


「風につつまれて」は、約束と再生の歌

手嶌葵さんの透明感ある歌声が、この歌の“目に見えない優しさ”をいっそう引き立ててくれています。そしてこの楽曲は、ただの追憶ではなく、「支えがあったから、いま歩けている」という再生の物語として聴こえてきます。

映画『蔵のある街』が描く、花火をめぐる約束もまた、過去と今をつなぎなおす物語。
風に包まれて、光に照らされて、きっと蒼もまた、未来へと一歩を踏み出すのだと思います。


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まとめ:風のように、愛はそばにある

「風につつまれて」は、過去への感謝、喪失を乗り越える勇気、そして未来への静かな決意が重なった、優しくも芯のある楽曲です。

見えないけれど確かに感じられる“あなたの愛”が、どんな日にも自分を支えてくれる。
この歌は、そんな思いを静かに語りかけてくれます。

映画とともにこの曲を聴いたとき、きっと多くの人が自分自身の“風”を感じるのではないでしょうか。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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