2025年5月28日、Mrs. GREEN APPLE のボーカル、大森元貴より「絵画」がリリースされました。
2021年「Midnight」以来4年ぶりのソロ作品のリリース。
Mrs. GREEN APPLE のグループではなくあえてソロ名義で発表された楽曲「絵画」の歌詞に込められた意味を解説・考察していきます。
※当サイトでは、音楽を聴いて感じたことを個人で考察・発信しています。
読者の皆さんにも、新たな視点や楽しみ方が届けば幸いです。
大森元貴 のプロフィール
大森元貴はMrs. GREEN APPLEのボーカルです。
Mrs. GREEN APPLEは2013年に結成されたロックバンドです。
「ミセス」の愛称で親しまれています。
2015年にミニアルバム『Variety』でメジャーデビューしています。
2020年にフェーズ1の完結を発表。
2022年に現在のメンバー編成でフェーズ2の開幕を発表し活動を再開しています。
メンバーは、ボーカルギター/大森 元貴、ギター/若井 滉斗、キーボード/藤澤 涼架の3人です。
「ダンスホール」「ケセラセラ」そして「ライラック」
Mrs. GREEN APPLE のリリースする楽曲はたちまち日本のヒットチャート上位にランクインしています。
現在のJポップを代表するアーティストのボーカルと言えます。
絵画 の基本情報
絵画 の基本情報は以下の通りです!
楽曲名:絵画
アーティスト名:大森元貴
発売日:2025年5月28日(配信リリース)
ジャンル:Jポップ・Jロック
収録アルバム:絵画 / こたえあわせ(シングル)
作詞:大森元貴
作曲:大森元貴 アレンジ:Yaffle
絵画というタイトルに込められた願いと矛盾
さっそく曲名「絵画」について考察していきます。
この曲のタイトル「絵画」は、単なる比喩以上に、強い自己表現の願いと痛みが込められていると感じます。
飾られる様な絵画にはなれなくても
私にしか無い色で 描いてほしい
せめて私のためだけに 描いてほしい
絵画 / 大森元貴
絵画とは本来、誰かの手によって“美しく”整えられるものです。
部屋に飾られ、人に鑑賞される前提で存在する。けれどこの曲の語り手は、自分は「飾られる様な絵画にはなれない」と言い切っています。
つまり、人にとって都合のいい「作品」になることはできない。
それでも、「私にしか無い色で」描かれたいと願う。その矛盾と痛みこそが、この曲の核心です。
自己肯定の前に、自分の“異物性”や“不完全さ”を直視している。それがこの曲の最大の魅力だと思います。
また、聴覚で訴える音楽に対して視覚で訴える「絵画」をタイトルに掲げているのもその“異物性”を際立たせているように感じます。
Mrs. GREEN APPLE でヒット曲を量産する一方で人から押し付けられるイメージに苦しんでいるような大森元貴の心情も伝わってきます。
冒頭に溢れる衝動と言葉の断絶
震わせて
来る
狂わせて
捨てる
難儀に
絵画 / 大森元貴
歌い出しから、感情がほとばしるように動詞が立て続けに並びます。
主語も目的語も無く、まるで言葉がぶつ切りに吐き出されていくようなこの構成が、制御不能な感情の揺れを映しているように聴こえます。
羽
羽ばたかせ
千切れる
もぐ
艶美に
絵画 / 大森元貴
自由の象徴とも言える“羽”が登場するも、それは羽ばたくどころか「千切れる」「もぐ」と続きます。
けれどその末尾に「艶美に」という語が置かれることで、苦しみの中にすら美しさを見出そうとする皮肉な美意識が浮かび上がります。
嘘をつきながら、気づかれたくて仕方がない
夢なら覚める頃
孤独にも慣れた
あぁ また嘘をついた
誰にもバレないように
抱きしめてと
洩れないように
絵画 / 大森元貴
「嘘」は自分を守るための装置であると同時に、本音を隠すための仮面でもあります。
「誰にもバレないように」と言いながら、実は「抱きしめてと 洩れないように」と感情を押し込めています。
このギリギリの均衡こそが、人が孤独と共に生きる時のリアルではないでしょうか。
アーティストとしての道を歩み、キャラクターを確立していきながらも人間らしさを感じる歌詞です。
完成された美しさにはなれなくても
散らかった思考の渦に
呑まれそうな私を
最期まで愛してほしい
飾られる様な絵画にはなれなくても
私にしか無い色で 描いてほしい
せめて私のためだけに 描いてほしい
絵画 / 大森元貴
大森元貴は、自分が「絵画」のように整った存在でないことを受け入れています。
「散らかった思考の渦に呑まれそうな私」でも、「最期まで愛してほしい」と訴える。
「愛される価値がある」という強い主張というよりは、「どうしようもない私でも、あなたの色で描いてくれるなら救われる」という救いを求めるような切実な願いが込められているように思えます。
咲くことなく終わる花、報われないフェミニン
花
咲くことも
知らずに散る
フェミニン
絵画 / 大森元貴
ここでは“花”という儚さの象徴が、開花すら許されずに「散る」と歌われます。
その花が「フェミニン」と形容されているのは、やさしさや女性性、繊細さといった価値が、評価される前に壊れてしまうことへの嘆きなのではないでしょうか。
フェミニン=柔らかく弱いものと見なされがちですが、実はそれらこそ強く生き抜く力なのだと、この一節は語っている気がします。
理想に溺れても、それでも見ていてほしい
散らばった理想の海に
溺れる様な私を
最期までポイして欲しい
鮮やかに映す
レンズには傷が目立つけど
私にしか無い理由で
縋っていて欲しい
せめて私のためだけに
歌っていて欲しい
絵画 / 大森元貴
ここでの「ポイして欲しい」は、解釈にとても悩む部分でした。
「最期まで愛してほしい」と言っていた語り手が、今度は「ポイして欲しい」と願う。この二律背反に満ちた感情の揺れこそが、現代の愛し方を象徴しているようにも思えます。
でも結局、「私にしか無い理由で 縋っていて欲しい」。
つまり、他の誰でもない“私”であってほしい、という一貫した願いが、この曲全体に流れています。
とすると、「絵画」は”私”という唯一の作品を示しているとも考えられます。
誰かのせいにできない人生の重み
誰かのせいに
誰かのせいにして
生きてゆけたら
楽なんだろうな
絵画 / 大森元貴
シンプルだけど深い一節です。
“誰かのせい”にすることで逃れられる責任も、苦しみもある。
でも、語り手はそれができない。だからこそ、すべてを自分の中に抱え込み、「鬱に呑まれていた」とまで告白する。
自分を責め、誰にも助けを求められず、それでも「私の海岸を歩いてほしい」と静かに願う姿は、痛々しくも美しいです。
Mrs. GREEN APPLE のボーカルとしてJpopをけん引する大森元貴の、変えが効かないからこその語りにも感じられます。
影を残してもいい、だから探してほしい
また鐘が鳴る
冷えた部屋に残る
私の影を
貴方は探してくれる?
絵画 / 大森元貴
終盤に登場する“鐘”は、冒頭にも出てきた言葉です。
鐘
響くは街に
また残酷に
禊の様に
洗う様に
絵画 / 大森元貴
冒頭の鐘が“残酷”で“禊”のように響いたのに対し、ラストの鐘は静かで内向的。
冷えた部屋、残された“影”というイメージが、存在の希薄さと、それでも誰かに見つけてほしいという希望を同時に表しています。
「影」を“探してくれる?”という問いかけは、「私の痕跡でもいいから、あなたに届いてほしい」という、ささやかだけれど本質的な願いなのだと思います。
冒頭とラストで鐘の響きを対比させ、心の向かう先を対比させています。
「絵画」は、自分自身であろうとする決意の歌
大森元貴の「絵画」は、自分の不完全さ、壊れやすさ、そして他人に理解されない感情を真正面から描いた楽曲です。
“絵画”のように美しくはなくても、“私にしか無い色”を信じて、誰かに託す。
それは、自分を否定せずに生きるための最低限の表現なのかもしれません。
この曲を通して、私たちもまた「私にしか無い色」を持っていることを思い出させられる。
私にしかない色で描く「絵画」をそれぞれの胸の内で想い描くことができるような作品でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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