2025年7月24日まふまふから新曲「死神様にお願い」がリリースされました。
誰かに「モンスター」と決めつけられたら、僕は本当にモンスターになるしかないのか――
まふまふの楽曲「死神様にお願い」は、そんな“悪役にされてしまった存在”の痛切な祈りが込められた一曲です。
「死神様にお願い」というインパクトあるタイトルには、単なる破滅願望ではなく、救いを求める裏返しの気持ちが隠れているように思います。
この記事では、歌詞の言葉や構造を根拠にしながら、まふまふがこの曲で伝えようとした世界観とメッセージを丁寧に読み解いていきます。
※当サイトでは、音楽を聴いて感じたことを個人で考察・発信しています。
読者の皆さんにも、新たな視点や楽しみ方が届けば幸いです。
死神様にお願い / まふまふ の歌詞
醜い翼 不定の体躯
きっと誰かが望んでいた
物語は今日加筆が済み
ボクは化け物になる猫も杓子もその指を
差した者勝ちのゲームなら
どうせ罪人の皮被り
退治される筋書きなんだな白む 薄明光線 ボクを嘲笑う
消えたいよ 消えたいよ
醒めない悪夢に彷徨って
繕って 強がって
脈打つ心臓はもう呪いになっていく嘯いてまで
悪役の顔した人生なんていらない
君の一振りで ボクを抉ってお願い恐れ嫌われる風貌だとか
ロールプレイの道理で
噂の類は何処かの
誰かから聞けるらしい醜い容姿 非道な手口
それは邪悪なモンスターだそうだ
討たれるべきだ 然るべき措置だ
例えボクが何もしていなかろうが消えないよ 消えないよ
見えないほどに治りづらくて
這いずって 擦りむいた
瘡蓋とは違う傷が増えていく汚れていない手のほうが
不自然な人生なんていらない
ご自慢の正義で ボクを壊してお願い咎人らしく爪を噛み 人目忍んで灰被り
ボクの気持ちがわかるものか
神も仏もあるものか恨み合って 妬み合って 僻み合って
言いたい放題言いやがって
暴き合って 叩き合って 壊し合って消えたいよ
消えたいの?
消えたいよ 消えたいよ
醒めない悪夢に彷徨って
繕って 強がって
脈打つ心臓はもう呪いになっていく嘯いてまで
死神様にお願い / まふまふ
悪役の顔した人生なんていらない
君の一振りで ボクを殺してお願い
「死神様にお願い」というタイトルの意味とは?
まず目を引くのが、この曲のタイトル「死神様にお願い」です。
死神とは“救済者”でもある?
一般的に「死神」は不吉な存在であり、「死をもたらす者」として恐れられるキャラクターです。
しかし、この曲における死神は“頼られる存在”として描かれています。
君の一振りで ボクを殺してお願い
死神様にお願い / まふまふ
このフレーズから分かるのは、「死」をもたらす存在に対して語り手が自らすがりついていること。
つまり、死神はこの世界でたったひとつ、自分を“終わらせてくれる存在”、言い換えれば「救済の手」なのです。
死神様にお願い
→「どうか、この人生を終わらせてください」「この苦しみから解放してください」
そう願う語り手の姿は、死そのものではなく、「苦しみの終わり」を求めているようにも見えます。
誰にも望まれず、勝手に「化け物」にされた語り手
冒頭からこの物語の深い痛みが示されています。
醜い翼 不定の体躯
死神様にお願い / まふまふ
きっと誰かが望んでいた
物語は今日加筆が済み
ボクは化け物になる
ここで語られる「化け物」とは、語り手が自分の意志とは無関係に、誰かによってその役割を押し付けられた姿です。
「誰かが望んでいた物語」とは、世間や他者の勝手な物語。語り手はその物語に従わされ、「化け物」として生きることを余儀なくされるのです。
どうせ罪人の皮被り
死神様にお願い / まふまふ
退治される筋書きなんだな
もう最初から“悪者”の役を割り当てられ、それに抗う余地もない。
これはまるで、社会的スケープゴート、つまり「叩かれるために存在している人間」のような描かれ方です。
見えない傷と、正義の暴力
歌詞全体を通して強く感じたのは、「語り手は本当に悪いことをしていない」ということです。
それは邪悪なモンスターだそうだ
死神様にお願い / まふまふ
討たれるべきだ 然るべき措置だ
例えボクが何もしていなかろうが
ここにあるのは、中身ではなく“見た目や噂”だけで断罪される理不尽。
実際に何をしたかではなく、「そう見えるから」「誰かがそう言っていたから」という理由で悪者にされ、排除される。
これはSNS時代の“炎上”や“吊し上げ”にも通じる、現代社会の匿名の暴力性を象徴しているように思います。
消えないよ 消えないよ
死神様にお願い / まふまふ
見えないほどに治りづらくて
この「見えない傷」というのも象徴的です。
外からは分からない痛みを抱えながら、それでも生きていかなければならない語り手。
それはまさに、「悪役の顔をしなければいけない」人生の重さを物語っています。
「嘯いてまで」悪役を演じる自分への拒絶
嘯いてまで
死神様にお願い / まふまふ
悪役の顔した人生なんていらない
このフレーズは、語り手が「自分を偽ってまで、悪人として生きること」を拒否している証拠です。
「嘯く(うそぶく)」という語は、ここでは単に“強がる”ことだけではなく、感情や本音を押し殺して演じている自分を指しているように思います。
- 本当は苦しい
- 本当は誰にも傷つけられたくない
- でも、「強がること」しか許されていない
そんな中で、ついに限界を迎え、「死神様にお願い」と命乞いならぬ“終わらせてくれ”という祈りが溢れてくるのです。
“正義”に傷つけられるという現実
ご自慢の正義で ボクを壊してお願い
死神様にお願い / まふまふ
この一行は、自分を傷つけてきたのは「悪」ではなく「正義」だったという皮肉が込められています。
「君」が誰なのかは明確にされていませんが、ここでは、無邪気に正義を振りかざしてきた“普通の人々”として読むことができそうです。
- 正義のためなら排除も許される
- 「あいつが悪い」と言えれば安心する
- それは誰かを壊すことだとしても
語り手は、そんな“正義”によってボロボロにされていきます。
だからこそ、「正義に殺されるくらいなら、自ら死神に願って終わらせたい」――そんな切実な心情が浮かび上がってきます。
終盤の掛け合いに見る“本音と演技”の分裂
消えたいよ
消えたいの?
消えたいよ 消えたいよ
死神様にお願い / まふまふ
この場面には、自問自答のような構造があります。
「消えたいの?」と問いかける“もうひとりの自分”は、もしかしたらまだ死にたくないと思っているかすかな希望かもしれません。
あるいは、周囲の人間が冷たく「本当に消えたいの?それって本気なの?」と試すように聞いてくる声かもしれない。
いずれにしても、ここで語り手は何度も繰り返し「消えたい」と訴えます。
繕って 強がって 嘯いて
それでももう耐えきれない――
この語りは「死にたい」ではなく「苦しみから逃れたい」なんです。
「殺してお願い」という衝撃のラストに込められたメッセージ
君の一振りで ボクを殺してお願い
死神様にお願い / まふまふ
最終行には、曲全体のテーマが凝縮されています。
それは単なる破滅願望ではなく、
- 「自分を悪役に仕立ててきた社会」への痛烈な皮肉
- 「誰にも救ってもらえなかった孤独」の結晶
- 「どうせ殺すなら、ちゃんと終わらせてくれ」という究極の懇願
まふまふの歌詞には、常に痛みを見てくれ”“無視しないでくれ”という叫びが根底にあります。
この曲もまた、社会の中で「見捨てられた誰か」の声を代弁しているのです。
死神様にお願いが伝える“悪役にされた人間”の叫び
「死神様にお願い」は、他者から押し付けられた「悪役」の役割に苦しむ語り手の姿を描いた曲です。
- 社会から「お前はモンスターだ」と言われ
- 理由もなく叩かれ、排除され
- 正義の名の下に傷つけられる
そんな中で、「自分を終わらせてほしい」と願うのは、救われたかったけど誰にも救ってもらえなかった絶望の裏返しです。
けれど同時に、これは“あなたは本当にそれでいいのか?”と聴き手に問いを投げかける歌でもあるように思います。
「正義」の名のもとに誰かを追い込んでいないか?
「モンスター」にしたのは誰なのか?
「嘘ぶいて強がる」誰かの本音を、見ようとしているか?
この歌を通して、まふまふは「悪者にされた誰かの声」を、音楽という形で世界に残そうとしたのかもしれません。
おわりに|見た目や噂だけで人を裁く社会で、どう生きるか
まふまふの「死神様にお願い」は、美しくも痛ましいメロディに乗せて、
“自分が何者かを決めるのは、本来自分自身であるべきだ”という強いテーマを投げかけています。
だけど現実では、見た目や過去、風評で人を裁いてしまう場面も多くあります。
だからこそこの歌は、誰かを傷つける側にも、傷つけられる側にもなり得る「私たち自身の物語」でもあるのです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。


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